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柳生一族の陰謀

柳生一族の陰謀_d0105153_182560.jpg これ、傑作です。善と悪、生と死、愛と憎、真と偽など相反するものが渾然一体となって押し寄せるうねりは迫力満点。

 ストーリーは、徳川三代将軍の座を巡り、二代将軍秀忠の長男 家光を推す勢力と、次男 忠長を推す勢力との争いが表面化するところからはじまる。さらに幕府内の抗争に加え、幕府失墜のチャンスを狙う公家達も策略を練る。家光派(家光はこの映画では完全無欠のバカ殿)の柳生但馬守宗矩は、息子の十兵衛を使って策略を遂行する。しかし父親に利用されたことを知ったの十兵衛は…。

 う〜む、時代劇だからこそ描ける世界観、そして萬屋錦之介、千葉真一、松方弘樹、成田三樹夫、三船敏郎、金子信雄など大物・くせ者が集結したキャストは必見! こんな濃ゆい世界はそうそう見られません。
 萬屋センセの歌舞伎調のセリフまわしは正直‘どうなの?’という思いが過ぎらないわけではないが、これもセンセのスケールのデカさだと思って我慢すべし。(きっと深作監督、大変だったろうなぁ…)

 それと、千葉真一のカッコいいこと! 本作といい、『魔界転生』といい、ハマり過ぎ。柳生十兵衛はこの人以外は演じてはダメ。
 深作&チバシン コンビでもっと柳生十兵衛モノつくってほしかったなあ。
# by ichio1970 | 2008-10-15 18:02 | 1970

バニシング・ポイント

バニシング・ポイント_d0105153_19411139.jpg デンバーからカリフォルニアまで15時間で走れるか? このまるっきりガキんちょなワンアイデアを1本の映画にしてしまったのがこの『バニシング・ポイント』。
 アメリカン・ニュー・シネマの代表作と称される本作。確かに舞台の設定はモロそんな感じだけれど、ただクルマをカッ飛ばし、カーチェイスで白バイやパトカーがクルクル横転するだけのバカ映画として観た方が断然オモシロイ。
 だって、あの人をおちょくったようなラスト、あれはどう考えても“やっつけ仕事”でしょ。実際、監督のリチャード・C・サラフィアンは後に「映画会社にニュー・シネマ風に撮ってくれと強要された」と文句を言っているらしい。
 ただ、過激(単なるヤケクソだと思いますが)とも言える『イージー・ライター』を超える(単なるパクリという気もしますが)あまりに唐突なラストが、バカ映画としての価値も上げていることは確か。
 それに、カーチェイスで事故った警官をいちいち心配そうに見に行く主人公 コワルスキーのキュートな姿は「どこが反体制やねん!」と突っ込まずにはいられない。これも監督の皮肉だったに違いない。

 ストーリーはさっき書いたことがすべて。
 途中から盲目のDJ スーパーソウルが警察無線を盗聴してラジオ番組でリアル情報を流し、まわりが勝手に盛り上がるところなんかは今のネット文化に通じる。最後の最後に野次馬がシラ〜とした顔をして、散り散りに帰っていくとこなんかはリアル。
 CG一切なしの無添加カーアクションは、たいしたことをしてなくてもやはり迫力がある。でも、この作品の最大の魅力は、どのシーンも構図がビシッときまっていること。こういうカッコ良さって、今の映画にはない。
# by ichio1970 | 2008-09-30 19:41 | 1970

ポンヌフの恋人

ポンヌフの恋人_d0105153_1446111.jpg 大学生の頃初めてこの映画を観たときはピンと来るものがなく、自分とは無縁の映画だと思いつづけて15年。
 それが2、3年前に『マッドマックス2』や『ブレードランナー』『アキラ』などに連なる汚れた都市像を描いたデストピアムービーとして大復活!
 あの朽ち果てたポンヌフ橋には間違いなくデストピアの魅力が刻み込まれている。映画の設定では橋以外の場所(パリ)は普通の街なみなんでしょうが、どことなく世界中が崩壊したように思えてくる。
 それにアレックスの顔と動きが『マッドマックス2』に出てくるウェズ以上にこわれていて、より世紀末感が強くなっている。
 なかなかへヴィな都市造形です。

 もともと恋愛モノに興味がないせいか、物語自体はまったく理解できない。突然橋の上で踊り出すわ、人を焼き殺すわ、橋から突き落とすわ、この人たち何をやってるんでしょうか。
# by ichio1970 | 2008-06-04 14:48 | 1990

ホーリー・マウンテン

ホーリー・マウンテン_d0105153_1428126.jpg キング・オブ・奇才、アレハンドロ・ホドロフスキーによるヘニョヘニョでグニョグニョな濃厚世界。
 聖典やコーラン、仏典、さまざまな民俗(族)学への問題意識がベースになっている異色の社会派作品!と言いたいところだが、主人公である救世主がTバックを履かされて市中引き回しにされたり、肛門丸出しでゴシゴシ洗われたり、ウンコを燃やしたカプセルに閉じこめられたりするシーンを延々見せられると、小難しい問題意識なんてどうでもよくなってくる。
 はっきりいって何が言いたいのか分からない。でも、ホドロフスキーがつくり出した強烈な映像とそこから生まれるイメージは意識の奥深くに染み込んで、ちょっとやそっとでは忘れられなくなる。
 グロいシーンの連発で途中から疲れてくるが、ラストシーンを見ると妙にスッキリした気分になる。
 ホドロフスキーが本作の後撮った作品は『サンタ・サングレ 聖なる血』のみ。まぁこんな作品をつくってしまったら、他につくりたいものなんかなくなってしまうような気がする。

 ところでホドロフスキーはこの作品の後、大作『砂の惑星』のメガフォンをとることになったのだが、結局プロデューサーとモメて降板。最後に「オレ様を誰だと思ってるんだ、ホドロフスキー様だぞ!!」と吐き捨てて姿を消したとか。彼の後監督をまかされたデヴィッド・リンチは四苦八苦しながらも無事完成させた。オトナである。
# by ichio1970 | 2008-04-09 14:28 | 1970

デス・プルーフ IN グラインドハウス

デス・プルーフ IN グラインドハウス_d0105153_21515282.jpg 映画として優れているのかどうか、おもしろいのかどうか正直判断つかないが、作中の世界に‘異様な熱’を感じることのできる久々のタランティーノ印作品。
 『パルプ・フィクション』以降どうも乗り切れい作品がつづき、『レザボア・ドッグス』と『パルプ・フィクション』がたまたまだったんじゃないの?という気がしないでもなかっただけに嬉しい誤算。
 今作はカート・ラッセル扮する世界一情けないサイコキラー‘スタント・マイク’を筆頭に魅力あるキャラクターが登場するほか、まったく意味のないバカトークも満載で、ここのところうっとうしくなっていたタランティーノの映画オタクぶりが味つけにおさまっているところがいい。
 ファンの間ではガールズトークの評価が高かったりするが、個人的にはそれ自体におもしろさはあまり感じない。それよりも、そんなアホな会話をしている裏でストーリーが進んでいることにおかしさを感じる。要するにドリフのコントで‘志村、うしろうしろ!’と叫ぶあの心境。『キル・ビル』にはこのトンマさが欠けていた。
 前半と後半で作品のテイストがコロッと変わってしまうところもナイス。前半丸ごと使ったネタふりが後半活きている。これだけ思いきったことのできるタランティーノって、やっぱり凄い。
# by ichio1970 | 2008-04-03 21:52 | 2000